コドモトオトナノミライ研究所
研究所を作ったきっかけは、昨年8月に大西つねきさんの講演会を計画し、その時に主催団体が必要となり一緒に企画した友人のみくちゃんがさくっと素敵な名前を考えてくれたのがそもそも
大西さんの企画が成功に終わった!
『わがままに生きろ』と名言を残して
その後色々とやりたいことが出来た。地方政治を知って欲しい。政治塾をやりたい。それを研究所のみくちゃんとさくら市の大河原千晶議員と友人と、つねきさんの講演会に来てくれた我妻さんに話した。その日はとりとめがない形になった。と私は思った。がこの日を境に何かが始まった。
直ぐに市民と行政のかかわり方を学ぼうとなり、以前から親交のあるこのホームページを企画してくれた蓑田さんに話したら、やりたいと言ってくださり、『』を開催。急遽であり内容もオープンにできるものではないと内々で実施。市民が行政を監視する意義方法等知見に富む、もっと多くの方に来て欲しい、素晴らしい内容。
そこへ我妻さんが倉内さんを連れてきてくださった。倉内さんは有名企業でバリバリ働いて方。それで更に物事が加速していく。人生って面白い。出逢いって素晴らしい!
で私たちの致命的に欠けているのが宣伝力。そうSNSの発信力。私が誰が通報したのか知らないがXは永久凍結。議員時代から発信力のなさは自他ともに認める。紙媒体のニュースは発行して来なかった。自分の業績でないのに、書くことで何かをしたとアピールし得票を得ている議員が嫌いだった。同じ事をすることに抵抗があった。
しかし業績がないわけではない。日光市議会では自分が一番政策を実現していると自負があった。それをホームページにしよう。選挙の時にそれをみて正しく評価して選んで欲しいと。どこまでいっても不器用でそれは通じなかった事がわかったけれどね。
が毎日アクセスしてくれる人が未だにいる。めっちゃ励まされてます!感謝感謝感謝💛
私の日々の活動は社会活動が多い。多くの人に知って欲しいと思っている。多くの人の手で今の日本を変えて欲しい。知ってもらうための情報発信が大事だと改めて思っている。議員の時のように意固地になっている場合ではない。あらゆる事をやろうと決めた。
そんな時に倉内さんが発信力を高めるためにSNS講座をやってくれると申し出てくれた。もう神。26日は研究所メンバーでテスト配信。テスト配信でバタバタ(‘ω’)もうコメディーレベル。これからは月1会議。
勢いで始めた研究所。これから様々な事をやっていくよ!『わがままに』
●大西つねきさん講演会チラシの案内
裸のまま生まれ、裸のまま死ぬ私たちの
生き方、死に方を今だからこそ問う
「通称:丸腰ツアー」スタート!
丸腰ツアー?何のこと?と思ったかもしれません。でも今こそ問います。私たちは何のために生き、何のためなら死ねるのか?
死は必ず訪れます。そしていつ、どんな形で訪れるもかわかりません。いくら避けようとしても、それが本当に死を遠ざけてくれるとも限りません。死を避けんがあまり、逆に死を手繰り寄せることもあるのです。
必ず訪れる死は敗北でしょうか?
もしそうなら、我々は全員敗者です。
そうでなく、それまでの生き方で決まるのではないでしょうか?
死んだら全て終わりでしょうか?
そうではないと思う人も、ここのところ急速に増えています。死んでも終わりではないなら、我々はどこまでそれを避けるべきでしょう?
死の概念が変われば、政治も当然変わります。医療や国防の概念も変わるからです。しかし日本の政治では、死の議論はタブーです。受け入れるなどと言えば、命の軽視と批判されます。
かくして、ただ死なないためだけの医療、有事に備えて軍事力を肥大化させる国防が延々と続きます。
実際、この3年間、ただ死を避け続けた3年間です。それで命は救えたのでしょうか?命を救うとは、ただ死なないということでしょうか?
それとも限りある生を、精一杯輝かせるということでしょうか?
国防とは、他国民を殺しても、自国民が生き残ることでしょうか?そのための軍備を倍増させることが我々を安全にするのでしょうか?
我々は今こそ、我々自身に問わなければなりません。憲法9条という、世界でも稀な平和憲法を持ち、中国、ロシア、アメリカという超大国のど真ん中に位置する日本の役割とは何か?
何のために、死ぬのか?
それを真正面から問う大西つねきの「丸腰ツアー」始まります。
魂を揺さぶる問いに、限りある命に、向き合い、考え、行動しませんか?
皆さんのご参加、お待ちしております。
・プロフィール
1964年2月29日東京都生まれ。荒川区南千住で育つ。
1982年、巣鴨学園高等学校卒業後、上智大学外国語学部英語学科入学。
1984-85年、シアトル大学に政治力学専攻で奨学金留学。
1986年、上智大学卒業後、J.P.モルガン銀行に資金部為替ディーラーとして入行
1991年、バンカース・トラスト銀行入行、為替、オプション、債券、株式先物取引等。
1996年、株式会社インフォマニア設立、ITのプロとして電気通信事業で起業。
2004年、ナポリピザのお店、ピッツェリア・マルターノをオープン、オーナー兼ピザ職人
2011年、東日本大震災をきっかけに政治団体を設立、政治活動を開始。
2017年、第48回衆議院選挙に自らの政治団体フェア党で神奈川8区から出馬
2019年、第25回参議院選挙にれいわ新選組公認で比例区に出馬、得票数3位。
2021年、第49回衆議院選挙に神奈川4区から無所属として出馬。
※書籍の販売、サイン会予定しています
2023年振り返り
来訪いつもありがとうございます!
アクセス数を毎回気にしています。どのような方がみてくださっているのだろう?どのような思いを持っているのだろう?何故私に興味を持ってくださるのか?知りたくて仕方ありません。アクセスを励みに書いています。え?ならもっと書けと。。。スミマセン(‘◇’)ゞ
皆さまと会える方法はないか考え続けひらめきました!私が参加するイベントを知らせて会いに来ていただく。って安易でスミマセン(‘◇’)ゞ
『16日13時から宇都宮市駅のコンコースででれいわ新選組のチラシ配布に参加します』
れいわ推しでない人はごめんなさい。れいわ推してな人も良かったら来て声かけてください。これで一人でも会えたら次の会える方法考えます。こんな事をして欲しいと思ってる方はFBのメッセンジャーで連絡ください。
では、お会い出来ることを楽しみにしています。
『おてつたび』考えた人天才
得難き友人に感謝!
お話会のご案内
お話会のご案内
残暑厳しい毎日が続いており、秋が待ちどうしい季節ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
落選し新たなスタート切り早1年以上が過ぎました。その間も友人の選挙応援や議会で起こっているパワハラについて全国の仲間と繋がり、『議会に正義を求める会』を発足。その会で昨年8月には「懲罰、辞職勧告、言論封殺「理不尽な地方議会を『司法の力で正常化』」を衆議院会館で開催する等政治活動は続けてまいりました。
G7栃木県・日光男女共同参画・女性活躍担当大臣会合では日光市で映画を上映し、各議会に「G7男女共同参画・女性活躍担当大臣会合にむけて、ジェンダー平等達成のために女性差別撤廃条約選択議定書のすみやかな批准を求める意見書の提出を求める陳情も出しました。
現在は日光市の福祉関係者の方々と協同組合の方々と叶夢叶夢(カムカム)という月1回の話し合いをスタートさせ参加しています。協同組合の方々とは『みんなのおうち』作りに向けて行政と話し合いも行っています。
観光業に従事し、日光市の観光について深く考えさせられる事もしばしばです。特に外国人市民の方々と働き、自分の進めてきた政策が良かったのかと振り返る機会が増えました。まだまだ実現できなかったことがありますが、一市民の自由さを味わい、本来の自分を取り戻している所です。今思うことは8年間の議員生活は不自由過ぎて性に合わなかったですね。
これからは市民の立場から出来る事を目指して行きたいと思っています。そこで友人と「コドモトオトナノ未来研究所」を立ち上げ、今回初めてお話会を開催することにしました。自分らしく生きる事から政治経済、防衛費の問題まで現代を生きる私たちの諸課題を包含するとても深いお話会です。
ご多忙中だと思いますが、どうぞ、ご近所、お知り合い、おともだちの方々
お誘いの上、ご参加いただければと思います。以下にご案内申し上げます
記
日時 8月31日(木) 13時 『丸腰ってなに?』
※詳細は「コドモトオトナノ未来研究所」のをご覧ください
議会へ初めての陳情し議会へ失望する
職務経歴書
落選後1年、ホームページを更新する気持ちになれませんでした。まだまだ整理がついてないことがたくさんあります。1年間政治活動を辞めたわけではありません。様々なことをやりました。その報告は後程、っていつかな?お待ちください。
このたびリーゾートバイトを経て(ここでの気づきも大きかった、これも後程)看護師に戻ろうととある所に応募。その際職務経歴書を持参と言われてまとめました。我ながら凄いあゆみ。これは公開しようと思いました。激動の人生だわ~やれやれ
阿部 和子 職務経歴書
本籍地:栃木県日光市土沢
昭和38年生まれ 59歳
昭和56年 小山城南高等学校衛生看護科卒業
昭和58年 済生会付属高等看護専門学校卒業
平成3年 結婚のため今市市に転居
昭和59年4月~昭和61年3月
法人名 恩賜財団済生会宇都宮病院
事業内容 総合病院
業務内容 外科病棟勤務
がん患者の方が多く、再発の方も外科病棟に再入院されそこで亡くなる方も多い所だったため、その方々への支援 のためにホスピスのことを勉強しその知識を役立てた。
昭和61年4月~昭和63年3月
法人名 自治医科大学付属病院
事業内容 医師・看護師・助産師育成、総合病院、研究
業務内容 消化器外科病棟
看護師としてキャリアアップを図るため転職。勤務期間中にがん患者の方の疼痛緩和について研究。更にホスピスに関しても知識をふやすため、各研究会に所属し東京への研修へも参加。
平成1年4月~2年3月
学校名 厚生省看護研修研究センター
研修内容 看護師・助産師・保健師の教員養成、幹部看護師養成
患者主体の看護が出来る看護師の必要性を感じ、看護学校の教員になるため入学。そこで学んだのは生命への尊重、社会的存在としての人間理解、グループワークでの共同作業・個人作業での徹底した研究スタイル。倫理学・哲学・論理的思考による文章表現など多様な学問にも触れ、睡眠時間は数時間という過酷な状況で極限まで勉強したことは生涯の財産となっている。
平成6年~13年
法人名 宅老所ひばり、ウエーブ、
事業内容 高齢者福祉
看護師として勤務中から医療機関でのボランティアの必要性を感じ、退職後はボランティアを学ぼうと栃木県福祉協議会主催の福祉 のわかるライター養成講座に参加。その講座で宅老所ひばりの代表者と出逢い高齢者ディサービスの設立に参画。認知症の方の窮状を知る。更に地域における福祉政策の貧困を知り、必要なサービスは自分たちの手で作ることを仲間と始め、地域の人達と協力しNPOウエーブを設立し参画。その際行政とも協働でサービスの普及に尽力。
ウエーブで介護保険事業開始時、介護支援専門員として勤務。
平成14年~16年
法人名 NPOおおきな木、
事業内容 市民活動支援
市民活動の基盤整備の必要性を感じボランティアセンターを市に要望。市が市民活動支援センター設立。NPOおおきな木設立しセンター受託しセンター長として運営。センターで市と協働で子ども支援関係団体設立(NPOだいじょうぶ、ファミリーサポートセンター、子育て支援センター)精神障害者親の会やしお会の方の相談からNPOふれあいの森立ち上げ支援。その経歴がかわれ日光地区合併協議会にも市民代表委員として参加。
平成18年~24年
法人名 NPOハートネット
事業内容 働きたいけど働けない若者就労支援
センター勤務時に引きこもりの若者の相談を受け、その深刻さにセンター退職し引きこもりニートの若者の相談と就労支援を目的にNPOハートネットを設立、代表を務める。ハートネットでは県に若者ジョブチャレンジ事業提案し受託。しかし事業化は困難を極め受託も翌年度他事業者へ。自費運営となりボランティアで活動。そのためDV被害者支援団体、高齢者グループホーム、レオパレスの介護保険事業者等でアルバイトをしながら活動。市内での展開に限界を感じ、県域での自立支援研究会発足。就労支援の新たな展開を関係団体と協議し懇意の精神科医が復職支援リワーク設立。研究会でリワークを支援。
平成24年12月1日~26年1月1日
法人名 栃木ソーシャルサービス会社
事業内容 精神科通院の方の訪問看護、就労支援B型
引きこもりする中で精神的に病む方が多く、しかし病んでも病院すら行けない。そのような方々をボランティアで支える限界であった。そのような時に精神科に通院する方の訪問看護を知り入社。様々な精神病で社会参加がかなわない多くの方々を知った。子どもを虐待するケースや不登校になる若者へは行政や学校と連携をとった。訪問看護だけでは支えきれないケースが多く、ここまで酷くなる前に様々な支援が必要ではないかと痛感。やりがいはあったが社長のパワハラで仲間が次々解雇。私もパワハラにあい適応障害と診断を受け退職。
平成26年4月~令和4年4月
法人名 日光市役所
事業内容 市議会議員
宅老所ひばりを共に立ち上げた人が市議会議になり応援していた。その人が市長に立候補したため市議を辞職。その後継として困難な状況に置かれた方々に役立つサービスを創出するために立候補。市議となり以下のサービスを実現した(福祉分野以外は除く)
〇引きこもり相談支援センター
〇親なきあとの拠点施設
〇アドバンスケアプランニング わたしのノート・人生会議ノート
〇ケアマネジメント支援会議
資格 看護師、看護教員資格、介護支援専門員、キャリアカウンセラー、産業カウンセラー講座受講
家 族 夫 子ども2人は独立
若い世代や子育て世代にも、「議員」という仕事に関心を持ってほしい
議員の仕事とは?さまざまな考えの議員がいます。議員の数だけ議員活動があり、議員の仕事は一概に言えません。そのことが議員は何かわかりづらく、大事な仕事でもあるのに、なり手がいない危機的な状況を招いているように思えます。
その一方で、地域づくりやまちづくりに関心を持ち、活動を始める若い世代や、子育て中の世代も増えています。議員という仕事も、ぜひ、その延長で考えてみてはいかがでしょうか。
地域づくりを行っているともっとこういう後押しがあったら活動しやすい、子育てしているともっとこういうサービスがあったら子育てしやすい、と思われませんか?それを形にするのが議員の仕事です。ですから当事者体験をしたことのある、様々な背景をもった人たちが議会にいることが必要だと思っています。
若い世代、多様な背景を持った方々が議員を目指す人が増えて欲しいと思います。少しでも皆さんの参考になればと考えて、次回から、4回に分けて議員の仕事についてお伝えしていければと思います。
いろはにもみじ
いろはにもみじ
日光市の栗原にあります。素敵な所だと聞いていました。やっと来られました。1年半前にオ−プンしたそうです。
お食事も美味しい!コ−ヒ−も紅茶もケ−キも美味😋
↑どんだけ食べてるんや(少し痩せたのに(・・;)
あっ、メインディッシュ撮ってない(^_^;)
あっ、ハンモック乗ってない😅