れいわ新選組勝手連とちぎお話し会 ~ 能登半島地震ボランティア体験~

2月27日 れいわ新選組勝手連とちぎお話し会
仲間の「まこやん」の能登半島地震ボランティアのお話を、宇都宮市のコンコースでチラシ配布の後に、みんなで食事しながら聞いた。
東日本大震災の時もボランティアしたと。今回はとちぎボランティアネットワークのつてで行ったが、自分一人で向かった。
とちぎボランティアネットワーク(通称Vネット)は阪神淡路大震災へのボランティアがきっかけで出来た、中間支援団体。
私は設立当時からVネットに関わって来た。今市市民活動支援センターの運営をしていた時に、新潟地震が起こり、Vネットがその夜には現場視察に入ると知り、スタッフを同行させることにした。
地震はいつ起きるかわからない。その日に備えてボランティアの受け入れを、市民活動支援センターとしてする必要があると思った。
私自身も新潟地震のボランティアとして活動した。被災地に向かうバスの中で参加者にボランティアの心得をお話させて頂いた。
「まこやん」は東日本大震災のボランティアの経験もある。
れいわ新選組の山本代表も現地に行って、手当ての遅さを政府に進言した。しかし行ったことで批判を受けた。
が私も議員をしていたから、災害時の議員が行政に文句をつけて支援の邪魔をする事がある、くれぐれも辞めて欲しいと議員全員が言われた。
しかし、それでは現場もみず災害に対してどのような支援が必要か肌感感覚でわからないまま。それが繰り返される災害に対して、政府の対応スキルがあがっていかない要因だと思っている。
国家議員が全員で被災地にいけとは思っていない。それは本当に迷惑だろう。
山本代表は災害ボランティア支援に長けた団体のつてで行った。山本代表のように政党の一人でも、こういうノウハウのある団体と組んで行けば良い。
批判を恐れて現場を知らない議員が、災害支援を言うからおかしなことになっている。あらぬ批判が現場から議員を遠ざけている。
災害ボランティアの経験が日光市の東日本豪雨災害の時には役にたった。が残念なことに左手骨折でギブスしてたからボランティアは出来なかった😱💦
代わりに息子に行って貰った。その息子は今は消防士。
が出来ることはあると、県議と様々な被災地を行った。知り合いの福祉施政を周り被災状況確認。特別養護老人ホームが鉄砲水で一階が水没してた。
すぐに災害ボランティアセンターに電話。が民間施設にはボランティアは派遣しないと言われた。
はぁ?要介護者が沢山いる施設。早く復旧しないと預けられずに家族が仕事にも行けなくなる。
ボランティアセンターと争ってる間はない。被災してない知り合いの福祉施設に駆け込みボランティア派遣をお願いした。
その他お店も被災。お店はさらにボランティア派遣外。ここには友人に行って貰った。友人たちはすぐに動いてくれた。素晴らしい友人たち。
その後その件を同僚議員に話して老後ホーム視察。ボランティアセンターの対応を変えて欲しいと要望したが駄目だった。
最終手段として一般質問した。今でも良く覚えている。「特別養護老人ホームから被災の連絡を私から受けていない」との答弁。
。。。フリーズ。
あり得ない答弁、私が電話した事がなかったことになっている。後から電話記録の提示を求めれば良かった。でこのやり取り国会かって思った。
こんなやり取りも時折あったんですよ、日光市議会。議員を辞めたから話せる話。あの時にここでこれを話してたらどんな目にあったのかな。。。
こういう話いっぱいあるけど、聞きたい人がいたら、します!
結果は福祉施設はボランティア派遣対象となりました!
皆さんはこれをどう思います?
こういうふうに現場で見たおかしな所を改善するのが議員。なので邪魔になるだけの議員もいるけど、見ないと改善出来ないことを理解して行き過ぎるバッシングは辞めて欲しい。
「まこやん」も東日本大震災の時よりも政府の対応が悪い、国会議員は何してるのか憤ってた。彼の活動体験記はとちぎボランティアネットワークのホームページより見れるよ!
私はイタリアの災害支援が良いと思う。災害に必要な3点セットが被災地に政府から届けられる。
トイレ・食堂・個別で寝られるテント。ボランティアは事前研修制で3ヵ月のボランティア休暇が貰える。
海外視察の批判も多いけど、国会議員には是非イタリアの災害支援を学びに行って欲しいと話した。
れいわ新選組のボランティアとして、「まこやん」の素晴らしい活動をみんなに知って欲しい。
れいわ新選組の強みは『現場』を知って政策提案することだから。
私は就職してしまったから、現地にはいけない。けれどこうやって情報発信は出来る。まだまだ出来る事があるはず。見つけて行こう。

コドモトオトナノミライ研究所

研究所を作ったきっかけは、昨年8月に大西つねきさんの講演会を計画し、その時に主催団体が必要となり一緒に企画した友人のみくちゃんがさくっと素敵な名前を考えてくれたのがそもそも

 

大西さんの企画が成功に終わった!

『わがままに生きろ』と名言を残して

 

その後色々とやりたいことが出来た。地方政治を知って欲しい。政治塾をやりたい。それを研究所のみくちゃんとさくら市の大河原千晶議員と友人と、つねきさんの講演会に来てくれた我妻さんに話した。その日はとりとめがない形になった。と私は思った。がこの日を境に何かが始まった。

 

直ぐに市民と行政のかかわり方を学ぼうとなり、以前から親交のあるこのホームページを企画してくれた蓑田さんに話したら、やりたいと言ってくださり、『』を開催。急遽であり内容もオープンにできるものではないと内々で実施。市民が行政を監視する意義方法等知見に富む、もっと多くの方に来て欲しい、素晴らしい内容。

 

そこへ我妻さんが倉内さんを連れてきてくださった。倉内さんは有名企業でバリバリ働いて方。それで更に物事が加速していく。人生って面白い。出逢いって素晴らしい!

 

で私たちの致命的に欠けているのが宣伝力。そうSNSの発信力。私が誰が通報したのか知らないがXは永久凍結。議員時代から発信力のなさは自他ともに認める。紙媒体のニュースは発行して来なかった。自分の業績でないのに、書くことで何かをしたとアピールし得票を得ている議員が嫌いだった。同じ事をすることに抵抗があった。

 

しかし業績がないわけではない。日光市議会では自分が一番政策を実現していると自負があった。それをホームページにしよう。選挙の時にそれをみて正しく評価して選んで欲しいと。どこまでいっても不器用でそれは通じなかった事がわかったけれどね。

 

が毎日アクセスしてくれる人が未だにいる。めっちゃ励まされてます!感謝感謝感謝💛

私の日々の活動は社会活動が多い。多くの人に知って欲しいと思っている。多くの人の手で今の日本を変えて欲しい。知ってもらうための情報発信が大事だと改めて思っている。議員の時のように意固地になっている場合ではない。あらゆる事をやろうと決めた。

 

そんな時に倉内さんが発信力を高めるためにSNS講座をやってくれると申し出てくれた。もう神。26日は研究所メンバーでテスト配信。テスト配信でバタバタ(‘ω’)もうコメディーレベル。これからは月1会議。

 

勢いで始めた研究所。これから様々な事をやっていくよ!『わがままに』

 

●大西つねきさん講演会チラシの案内

裸のまま生まれ、裸のまま死ぬ私たちの
生き方、死に方を今だからこそ問う
「通称:丸腰ツアー」スタート!

丸腰ツアー?何のこと?と思ったかもしれません。でも今こそ問います。私たちは何のために生き、何のためなら死ねるのか?

死は必ず訪れます。そしていつ、どんな形で訪れるもかわかりません。いくら避けようとしても、それが本当に死を遠ざけてくれるとも限りません。死を避けんがあまり、逆に死を手繰り寄せることもあるのです。

必ず訪れる死は敗北でしょうか?
もしそうなら、我々は全員敗者です。
そうでなく、それまでの生き方で決まるのではないでしょうか?

死んだら全て終わりでしょうか?
そうではないと思う人も、ここのところ急速に増えています。死んでも終わりではないなら、我々はどこまでそれを避けるべきでしょう?

死の概念が変われば、政治も当然変わります。医療や国防の概念も変わるからです。しかし日本の政治では、死の議論はタブーです。受け入れるなどと言えば、命の軽視と批判されます。

かくして、ただ死なないためだけの医療、有事に備えて軍事力を肥大化させる国防が延々と続きます。

実際、この3年間、ただ死を避け続けた3年間です。それで命は救えたのでしょうか?命を救うとは、ただ死なないということでしょうか?

それとも限りある生を、精一杯輝かせるということでしょうか?

国防とは、他国民を殺しても、自国民が生き残ることでしょうか?そのための軍備を倍増させることが我々を安全にするのでしょうか?

我々は今こそ、我々自身に問わなければなりません。憲法9条という、世界でも稀な平和憲法を持ち、中国、ロシア、アメリカという超大国のど真ん中に位置する日本の役割とは何か?

何のために、死ぬのか?

それを真正面から問う大西つねきの「丸腰ツアー」始まります。

魂を揺さぶる問いに、限りある命に、向き合い、考え、行動しませんか?

皆さんのご参加、お待ちしております。
・プロフィール
1964年2月29日東京都生まれ。荒川区南千住で育つ。
1982年、巣鴨学園高等学校卒業後、上智大学外国語学部英語学科入学。
1984-85年、シアトル大学に政治力学専攻で奨学金留学。
1986年、上智大学卒業後、J.P.モルガン銀行に資金部為替ディーラーとして入行
1991年、バンカース・トラスト銀行入行、為替、オプション、債券、株式先物取引等。
1996年、株式会社インフォマニア設立、ITのプロとして電気通信事業で起業。
2004年、ナポリピザのお店、ピッツェリア・マルターノをオープン、オーナー兼ピザ職人
2011年、東日本大震災をきっかけに政治団体を設立、政治活動を開始。
2017年、第48回衆議院選挙に自らの政治団体フェア党で神奈川8区から出馬
2019年、第25回参議院選挙にれいわ新選組公認で比例区に出馬、得票数3位。
2021年、第49回衆議院選挙に神奈川4区から無所属として出馬。

※書籍の販売、サイン会予定しています

2023年振り返り

『去年も大変お世話になりました!』
去年も激動でした!まぁ想定内(((^^;)
●去年の振り返り
No.1還暦を迎えたこと。
60年も生きてきたんだとしみじみ。
いつも全力で前しか見ないわたし。
さすがに過去を振り返り、あれもこれもやったなと。その上で出来る時間には限りがあるから、これからは絞って活動したいなと。
No.2ニコニコ本陣で映画を上映したこと。
日光市でG7栃木県・日光男女共同参画・女性活躍担当大臣会合が開催されるに辺り、市民として出来ることをしたいと、市と県の後援頂き開催。イベント開催に辺り男女共同参画について栃木県女性会議出席するなど様々に学んだ。
No.3選挙応援
牛久市や沼津市に。
No.4地方議会のハラスメントと闘う
沼津市議会の山下議員と江本議員への同僚議員からのハラスメントが酷い。行政巻き込みそれが両議員が悪いかごときの全国ニュースになった。
沼津市に行き山下議員に寄り添い、できる限りのサポートをした。
LINEグループ『議会に正義を求める会』でも山下議員だけでなく、日々ハラスメントに会う仲間をみんなでアドバイスや応援するなど支えあった。
元宮古島市議の石嶺香織さんの産経新聞社に対する裁判傍聴。私も報道被害にあった、山下議員は更に酷い報道被害。山下議員はテレビ局に抗議し、テレビ局が話しを聞きに来たさいに同席し抗議した。
『議会に正義を求める会』には岩沼市議の大友さんがいる。議会の出席停止などの懲罰処分は、長らく司法審査の対象外とされてきたものを、司法の門を開いためっちゃ凄い人。その大友さんが全国オンブズマン仙台大会に出ると知り駆けつけた。大友さんは議会のハラスメントは、多数派による少数派の抑圧であり、行政に良いもは良い悪いもは駄目と対峙する働く議員が、働かない議員から懲罰受けて追い詰められている。許してはならないと。
大友さんは裁判に勝ち、懲罰の影響で落選していたが、補欠選挙で議会に返り咲いた。しかし、岩沼市議会は当時と同じく酷いまま。
安芸高田市議会の酷さが石丸市長のおかげで明らかに。地方議会の政治再建をどうしたら出来るか、考え続けた。
No.5日光市議会や近隣議会と向き合う
落選後市役所に行きたくなかった。が1年がたち、G7がきっかけで、議員の前は市民として行政に声を届けてきたのだから、市民に戻っても出来ることはしようと決めた。
そこで男女平等参画社会を目指すための陳情を栃木県議会、日光市議会、宇都宮市議会、鹿沼市議会、壬生町議会に提出。全て不採択。栃木県議会は議論すらせず。ジェンダーギャップ指数2023の政治分野の順位は138位。それを物語る結果となった。華々しい国際会議の中で本気で男女共同参画を進める気があるのか、更に政治に失望する出来事だった。
『子どもたちの甲状腺検査の継続を求める陳情』についての賛否が話し合われる議会を傍聴した。陳情反対意見の議員に甲状腺癌で苦しむ若者の存在を知ろうともせず、命に向き合う覚悟の無さに改めて失望。
G7の陳情でも政府が反対してるからとの理由で不採択。内容を詳細に調べない態度は同僚だった時から感じていた。それを皆さんに言って来なかった。
政治に無関心でいても、政治に無関係に生きられない。無関心は自分に不利益として跳ね返ってくる。
No.6大西つねきさん講演会
つねきさんをずっと応援してきた、れいわ新選から除名されても。発言の真意を取り違えていると思ってる。神奈川の街頭演説も聞き、選挙ではチラシ配りも手伝っている。知人がつねきさんを足利市に呼んでくれた。是非聞きたいと思った。友人も聞きたいと。が都合がつかず聞けなかった。なら自分たちで呼んじゃう?と。
講演会のチラシを作った。その時に団体の方が良いなと思い団体名を決めた。共に講演会主催してくれた友人が素敵な名前を考えてくれた『コドモトオトナノ未来研究所』
つねきさんの講演会は成功!なにより経済の嘘からマイケルジャクソンの話まで。『わがままに生きろ』とのつねきさんの言葉に感動。自由奔放わがままに生きているように見える私、そんなことないんですよ(‘◇’)ゞ子どものことに関しては行き過ぎた自己犠牲が働き生きづらさをずっと抱えてきた。なので『わがままに生きろ』は胸に落ちた。あーやって良かった。
No.7地方議会と市民が関わろう
地方議会の少数派虐めが酷い。安芸高田市議会で明らかになった地方議会の機能不全。日光市市議会も同様。それを質そうとしたために理不尽なバッシングも受けた、それが6年前に受けた政治倫理審査会。地方新聞もバッシングに加担し私の信用は地に落ちた。それ以来私のような目にあった議員を探した。
同志を探しあてグループを作った。同志の筆頭は大友岩沼市議。60年振りに議会の事が裁判で争そえると、司法の壁を60年振りに改定した方。裁判は7年にも及んだ。がそれでも議会を変える事は出来なかった。裁判闘争している同志がたくさんいる。
LINEに作った『議会に正義を求める会』私がつけた名前だが、なんか違うなと思い、参加者によき名があったら変えると言ったがそのまま。2年前に衆議院会館で初めて講演会を行った。がその後は現役市議が多く会の活動は活発ではない。その代わり日々の議会での嫌がらせを相談しあう貴重な場。お互い選挙応援や講演会に参加し交流は活発。
議会の虐めは熾烈を極める。それを表に出せば更なる虐めが待ってる。辞職勧告は当たり前。それを議会広報で書かれれば市内全域に配られる。
そんな時に現れたのが石丸安芸高田市長。議会の機能不全を可視化してくれた。それを全国に知らしめてくれた。そっかこういう手法でなら注目を浴びるのか。
虐めをうけた私たちが一番知って欲しいのは、議会の機能不全で不利益をこうむるのは市民であること。不適切な行政運営で税金の無駄使いが行われている。それを少数議員は追及している。それを多数派の議員はスルー。それで行政側はありがたいと思う、これでは議員の行政の監視機能が果たせない。
そしてこういう構造で虐めをしている議員を選んでいる市民に、『投票しないで』と言いたい。議員の実態を知って欲しい。石丸市長に勇気をもらい、そのための行動を起こすことにした。市民が地方議会と関わる機会づくり。陳情審査に友人を誘った。まずは一人から(^^)/
No.8政治塾準備
れいわ新選組候補者で当選したらやりたかった。が落選で出来ず。しばらく落選を引きづり私なんか開催してもといじけた。が議員の友人から私がしていた議員活動の勉強したい、凄いからとありがたい要望が来た。最近日光市議会がYouTube配信を始めた。そこで自分の一般質問を聞いた、素晴らしかった(‘ω’)
一般質問を8年間でしなかったのは2回。一般質問に全力投球してきた。一般質問は年4回しか出来ない。なのに毎回する議員は24名中7名くらい。一般質問で実現できた政策がたくさんある。あれ、これって凄い?再び自信を取り戻した。で『コドモトオトナノ未来研究所』の仲間に相談。今年に開催しようとなった。
No.9叶夢叶夢
日光市の福祉関係者で日光市を福祉の町No.1にするために発足。介護施設の外国人労働問題に取り組み、講師を呼んで勉強会。今年度参加福祉施設で初めて外国人雇用に踏み出したという成果が出た。社協の方に来てもらい『生活支援体制整備事業』についての勉強会も実施。これは議員の時にこだわっていたテーマ。議員でなくても出来ることはあると発見した。逆に自由にできるかも。転んでもただではおきない私でした(‘ω’)
私は議員であろうとなかろうと、『地方政治の再建』に向かって奮闘した1年。
●全国あちこち行って楽しかった
『おてつたび』という新しい働き方を知って海のある暮しを満喫
●看護師として勤務
介護施設に勤務。職場で酷い目にあってこんな施設があって良いのか、退職以外どうにもならなくて放置される現実。その現実は議員の時にも痛感していた。現場の悲痛な叫びを聞き取る、政治の出番だが誰が聞いてくれるのか。市民として政治不振を体感。
もう自分で施設運営するしかないと、確たる気持ちが生まれた!
去年も良き仲間に恵まれて様々な活動が出来た。心からの感謝を!!!

来訪いつもありがとうございます!

アクセス数を毎回気にしています。どのような方がみてくださっているのだろう?どのような思いを持っているのだろう?何故私に興味を持ってくださるのか?知りたくて仕方ありません。アクセスを励みに書いています。え?ならもっと書けと。。。スミマセン(‘◇’)ゞ

皆さまと会える方法はないか考え続けひらめきました!私が参加するイベントを知らせて会いに来ていただく。って安易でスミマセン(‘◇’)ゞ

『16日13時から宇都宮市駅のコンコースででれいわ新選組のチラシ配布に参加します』

れいわ推しでない人はごめんなさい。れいわ推してな人も良かったら来て声かけてください。これで一人でも会えたら次の会える方法考えます。こんな事をして欲しいと思ってる方はFBのメッセンジャーで連絡ください。

では、お会い出来ることを楽しみにしています。

『おてつたび』考えた人天才

『おてつたび』
城ヶ崎海岸にいますと報告したのは、
おてつたびという面白い試みに
参加していたから。
おてつたびを知ったのはテレビで。以下おてつたびより抜粋
おてつたびは、想いとこだわりがたっぷり詰まったサービスです。
日本には、まだまだ驚くほど魅力あふれる地域であふれています。もっと沢山の人が日本各地に気軽に出かけて、地域に入り込み、日本の愛おしいほど豊かな魅力を知るキッカケを作りたい!
“おてつたび”は、そんな思いから生まれたサービスです。
何もなさそうに見える地域ほど面白い。知らない地域に行くから楽しい。
おてつたびに行ってくれた方々が、お手伝いを通じて地域にぐっと入り込み、何か素敵な発見や経験をたくさんして、気づいたら自分にとっての特別な地域になって戻ってくる、そんな新しい旅の形を提案できれば本望です。
テレビで受け入れ先はマニュアルを作り、受け入れ準備を整えてると聞いて、参加したいと、早速おてつたびアプリをダウンロード。丁度やりたいことがあり東京方面のリゾートバイト探しても見つからず、リゾートバイトの過酷さにも嫌気が差してた。
ならチャレンジ!とおてつたびで行きたい所を探すと、城ヶ崎海岸ホテルの清掃の仕事が1週間あり早速応募。
その他北海道の農作業や漁業まであり、面白そう✨
割りと直ぐにOKのお返事が来て、瞬く間に城ヶ崎海岸のおてつたびに出発。
おてつたびの帰りに富士山の麓のキャンプ場『ふもとっぱら』に行ければと、キャンプ道具積みルンルン気分で車でGO 。
ついた宿泊先は海が見えるコンドミニアム。広いお部屋にミニキッチンつき。お風呂は温泉、サウナ付き。最高!
お仕事はついた翌日から系列のホテルの清掃。おてつたびに来ている他の人と一緒に送迎して貰いホテルへ。おてつたびに来てるのは若い男性2人。
ホテル付くと早速仕事の説明。とても親戚なスタッフが懇切丁寧に教えてくださり、9時30分から15時まで休みなく働き、さすがにヘトヘト( ̄0 ̄;)
お弁当2つ貰い帰途へ。若い男性二人はさほど疲れた様子はなく、60才の体力ではギリギリ。帰るとお弁当食べてベッドへ。観光どころではない。が温泉とサウナで疲れを癒す。
ストーンヘンジの画像のようです
お休みの日には張り切って伊豆観光に。伊豆半島は広く海がとても綺麗で海鮮は上手い。子どもたちの名前に海の字を付けるほど海が大好き。それが海なし栃木県住み。もう嬉しくて隅々まで伊豆半島回ってたら一周出来ず😨
もっと海を見たいと延長したいと思ってた所既に応募者があり延長出来ず。あ、住みたい位に気に行ってしまったのに😭
若い男性は、一人は大学生。こっちにくる前に北海道で初おてつたび、農業やってた。城ヶ崎海岸に来て福岡の実家に帰る。うわ、私より遠いやん。もう一人の男性は、仕事を辞めてこれから考えてる時に知り、初おてつたび。このあとは海外旅行に行く。
おてつたびに来てる人は面白い生き方してるな。若い男性と知り合うなんてない。自分の人生謳歌してるの見て羨ましくなった。
あっという間に帰る時に、なんとキャンセルが出て、延長して欲しいと言われてもちOK 。これであと半分伊豆半島回るぞ✨で新しいおてつたびの方が1人。シニアの女性で、一人旅どころか、一人で外食すらしたことがないそう。夫に1週間だけ家をあける許可を貰って来たと。それが一人でおてつたびとはかえって大胆。色々な人の人生に触れるおてつたび。まぁ、私自身普通に生きて来た訳じゃなくレアな人生かも😅
と瞬く間に2週間。その間お友達の山下沼津市議が市から提訴されるあり得ない、酷い目にあってる(FBに書いた)ので、沼津市に行き、励ます傍ら、沼津漁港で水揚げされたばかりの海鮮寿司をご馳走になり、その足で元湯河原町議のお友達と元真鶴町議のお友達と熱海で火鍋。
1人、フォンデュ、鍋料理の画像のようです
更に休みの日に沼津市議会傍聴。と怒涛の日々。更に延長お願いされたが、悩んでる間に応募者あり。気づけば延長なし、帰るのにキャンプ場予約忘れ、ふもとっぱら行けず😱
おてつたびに城ヶ崎海岸に来てなければ、日光市から遠く議会傍聴も仲間と会食も叶わなかった。
で稼いだお金は2週間で65000円。ただ交通費は出ない。
旅&働く&地元密着、これって関係人口作りじゃないか!と元議員根性が出たのであった。日光市でも1ヵ所おてつたび参加してるホテルあり、もっと広まって欲しい。
帰るときおてつたびのスタッフの方々から『また来てね』と。丁寧なお礼のメッセージも頂いた。こっちがお世話になったのになんて暖かい。うん、また行きます。ここはリピーターが多いのわかる✨
と介護施設の看護師募集の話があり、ナイスタイミング、日光市に戻ることに。これがおてつたびの話でした!なが😅
日光市に戻りながら、衆議院会館で勉強会に参加、衆議院会館近くに住む娘と孫と夕食を食べ、怒涛の帰宅😱

得難き友人に感謝!

8月11日 フレンドリースペース大貫
お友達のとんちゃん家で
極楽波動夢クラブのコンサート
アフリカの様々な楽器から
繰り出されるナイスな音楽
みんなで踊る、叫ぶ、これぞ宴
お庭では烏骨鶏がコケコッコ—
オーガニック八百屋のやおみく
アジア学院の出店
アジア学院の揚げたて
アフリカのドーナツは美味
山田さんのお蕎麦は玄人
私の手みあげはスイカと
家で取れたなすとピーマンの味噌炒め
スイカ割したかったけど出来なかったよ😅
とんちゃん家は様々な人がくる
波動夢クラブの人は北海道の旭川から
各地で演奏しながら日光へ
そして、びっくり!
私の選挙写真を撮ってくれた方と再会
なんと写真家からゲストハウスのオーナ—に転身し、場所は今市
議員の時に日光は宿泊する所が高い
もっと安く泊まれるゲストハウスを
増やせないかと、ゲストハウスサミットに
コロナ禍前に2年連続参加した
その時に家を持たないアドレスホッパーを
知り、ADDressという、既成概念打ち破る人たちを知った
こういう視察は議員に取って欠かせない
フランス視察で自民党議員が炎上したが、
実のある視察にするには、帰ってからが勝負
民間がやる所と行政が関わる必要性を
充分考えて、予算を考え政策まで
練り上げ、一般質問する
ADDressは全国各地のゲストハウスと提携し定額制で利用出来る画期的なシステム
年に数回の観光のような「非日常」ではなく、散歩や買い物、食事や会話、
お茶やお酒を飲んでゆっくりする日常生活そのものを、地域や家を変えて、
いつもと違ったものにするために考えられた
ADDressに日光のゲストハウスが登録すると
そこに訪れた人が日光を気に入り、移住
してくれれば、民間だけで移住政策が完了
行政の移住政策の予算が削減出来ると踏んだ、それが私が提案出来る政策
平成31年2月に一般質問した
日光市議会で検索すると出てくる
良かったら見てね( ̄0 ̄;)
政策には何か新しい物や事を作るばかりではないと思っている
日光市のように財政難な時は、削減政策は物凄く大事になる。
しかもより良い形になるのだから言うことなし
時日光市では、移住政策のための借家を借りていたが、不人気だった。
それをゲストハウスを利用して移住政策にならないかと、ゲストハウスサミットに参加した
まぁ、過去の話ですが( ̄0 ̄;)
それが縁ある人がゲストハウスをオープン
それもこの宴の日がオープン日
ゲストハウスを見学させて貰うことになり
またもや楽しみが増えた😍
お金が出来たらADDressに登録して
全国回るのが夢
アドレスホッパーになったりして(((^^;)
還暦にして夢多きばあばです(>_<)
こんな楽しい日を迎え
素晴らしい友人に恵まれ
感謝、感謝の日でした
とんちゃん、つよしどんありがとー😆💕

お話会のご案内

お話会のご案内

 

残暑厳しい毎日が続いており、秋が待ちどうしい季節ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。

 

落選し新たなスタート切り早1年以上が過ぎました。その間も友人の選挙応援や議会で起こっているパワハラについて全国の仲間と繋がり、『議会に正義を求める会』を発足。その会で昨年8月には「懲罰、辞職勧告、言論封殺「理不尽な地方議会を『司法の力で正常化』」を衆議院会館で開催する等政治活動は続けてまいりました。

 

G7栃木県・日光男女共同参画・女性活躍担当大臣会合では日光市で映画を上映し、各議会に「G7男女共同参画・女性活躍担当大臣会合にむけて、ジェンダー平等達成のために女性差別撤廃条約選択議定書のすみやかな批准を求める意見書の提出を求める陳情も出しました。

 

現在は日光市の福祉関係者の方々と協同組合の方々と叶夢叶夢(カムカム)という月1回の話し合いをスタートさせ参加しています。協同組合の方々とは『みんなのおうち』作りに向けて行政と話し合いも行っています。

 

観光業に従事し、日光市の観光について深く考えさせられる事もしばしばです。特に外国人市民の方々と働き、自分の進めてきた政策が良かったのかと振り返る機会が増えました。まだまだ実現できなかったことがありますが、一市民の自由さを味わい、本来の自分を取り戻している所です。今思うことは8年間の議員生活は不自由過ぎて性に合わなかったですね。

 

これからは市民の立場から出来る事を目指して行きたいと思っています。そこで友人と「コドモトオトナノ未来研究所」を立ち上げ、今回初めてお話会を開催することにしました。自分らしく生きる事から政治経済、防衛費の問題まで現代を生きる私たちの諸課題を包含するとても深いお話会です。

 

ご多忙中だと思いますが、どうぞ、ご近所、お知り合い、おともだちの方々

お誘いの上、ご参加いただければと思います。以下にご案内申し上げます

           

           記

日時 8月31日(木)  13時 『丸腰ってなに?』

※詳細は「コドモトオトナノ未来研究所」のをご覧ください

議会へ初めての陳情し議会へ失望する

24.25日 G7栃木県・日光男女共同参画・
     女性活躍担当大臣会合開催
  会場:ザ・リッツ・カールトン日光
2017年イタリア・タオルミーナのG7サミット開催時に初めて開催され、これまで4回開催されています。
G7及びEUの男女共同参画担当大臣等が一堂に会し、国際社会が直面する様々な男女共同参画、女性活躍に関する課題につい議論を行っています。日本での開催は初めてとなります。
昨年ベルリンで行われた会合に参加した日本政府の見解
・日本において、起業を阻む要因として経営知識資金調達、家庭との両立等が指摘されており、特に女性については、ノウハウ不足、身近なロールモデルの欠如、家庭との両立の困難等が、男性と比べて起業をより困難にしている。
・男女共同参画センターにおけるセミナーなど、これらの課題を踏まえ、女性の起業を後押しするための取組を進めているところ。
・日本政府では、現在スタートアップ促進に向け検討を進めており、内閣府としても、地域女性活躍推進交付金による地方公共団体の取組の後押しを検討している。
↑これらが達成出来たか、更なる課題がないか話し合うのが今回の会合です。
女性活躍担当大臣・内閣府特命担当大臣(男女共同参画)の開催に向けての談話
大臣会合は、日本国内のジェンダー平等に向けた機運を高めながら、関連施策及び取組を一層進展させる上で貴重な知見を得ることができる重要な機会でもあると考えています。さて、みなさまに質問です。大臣は誰でしょう?知ってた方は私に会った時に教えてください。素敵なプレゼント(((^^;)をお渡しします
G7男女共同参画・女性活躍大臣会合に向けて、ジェンダー平等達成のために女性差別撤条約上選択議定書の批准を求める意見の提出を求める陳情栃木県、日光市、宇都宮市、鹿沼市、壬生町議会に提出しました。これはジェンダーギャップ指数125位の日本を世界基準に是正する事が出来る大切な意見書です。
196県、市町村議会で意見書を提出されています。栃木県では意見書提出された事がありません。ジェンダーギャップ指数で『政治』の順位は138位です。それを現す結果となりました。栃木県議会は意見書については附託せず、話し合う事すらなく無視されました。
壬生町も不採択と言って意見書を政府に提出を拒否。宇都宮市厚生常任委員会で不採択。採択に反対したのは、自民党・公明党・維新会派です。
鹿沼市、日光市は継続審査となりました。
議員のみなさまはジェンダー平等を進めるお気持ちがあるのでしょうか?
市民のみなさま自分の投票した県会議員に意見書の提出を何故反対されたのか聞いてください!!!特に女性議員の方々に
今回各議会に提出し、市民の意見をどう受け止めるか違いがありびっくりしました。議員の時には気づけず、日光市議会が最も遅れていたので申し訳なく思いました。
栃木県議会は会派毎に附託するか決め、附託する会派がないと話し合う遡上にすらのりません。今回がそれです。ですから何故附託する必要がないと判断したのか分かりません。
鹿沼市議会は陳情提出者に意見を言える権利があり、私への活発な質疑応答があり、その後委員会の傍聴も可能。委員会で様々な意見が飛び交ってました。
壬生町議会も意見を言えて質疑応答ありますが、聞かれたのは他の議会に提出してますかだけで、委員会の傍聴は駄目。なので不採択の理由は不明。
宇都宮市議会は意見を言えますが、質疑はなし。その後委員会の傍聴は出来ました。が附託するかは会派の意見を言うだけなので、意見を交換する場ではありません。
日光市議会は陳情者の意見陳述を求めるかは議会が決めるので、提出者に権利は保証されてません。で意見求められませんでした!
提出者の委員会傍聴が可能か、議員だった私でも分かりません、誠に申し訳ありません。
後で調べますね
自分がいた議会が最も陳情者に対して温かくない現実を知りました。更に別件ですが『甲状腺検査の廃止反対』の陳情は附託されず。市政に対しての陳情は受け付けないと言われたと。。。
政治を変えらるのはみなさまです。
投票という大事な権利を使って
G7をきっかけに考えてみませんか?

職務経歴書

落選後1年、ホームページを更新する気持ちになれませんでした。まだまだ整理がついてないことがたくさんあります。1年間政治活動を辞めたわけではありません。様々なことをやりました。その報告は後程、っていつかな?お待ちください。

このたびリーゾートバイトを経て(ここでの気づきも大きかった、これも後程)看護師に戻ろうととある所に応募。その際職務経歴書を持参と言われてまとめました。我ながら凄いあゆみ。これは公開しようと思いました。激動の人生だわ~やれやれ

 

阿部 和子 職務経歴書

本籍地:栃木県日光市土沢

昭和38年生まれ 59歳

昭和56年 小山城南高等学校衛生看護科卒業

昭和58年 済生会付属高等看護専門学校卒業

平成3年  結婚のため今市市に転居

 

昭和59年4月~昭和61年3月

法人名    恩賜財団済生会宇都宮病院

事業内容   総合病院
業務内容   外科病棟勤務
がん患者の方が多く、再発の方も外科病棟に再入院されそこで亡くなる方も多い所だったため、その方々への支援                        のためにホスピスのことを勉強しその知識を役立てた。

 

昭和61年4月~昭和63年3月

法人名    自治医科大学付属病院

事業内容   医師・看護師・助産師育成、総合病院、研究

業務内容   消化器外科病棟

看護師としてキャリアアップを図るため転職。勤務期間中にがん患者の方の疼痛緩和について研究。更にホスピスに関しても知識をふやすため、各研究会に所属し東京への研修へも参加。

 

平成1年4月~2年3月

学校名    厚生省看護研修研究センター

研修内容   看護師・助産師・保健師の教員養成、幹部看護師養成

患者主体の看護が出来る看護師の必要性を感じ、看護学校の教員になるため入学。そこで学んだのは生命への尊重、社会的存在としての人間理解、グループワークでの共同作業・個人作業での徹底した研究スタイル。倫理学・哲学・論理的思考による文章表現など多様な学問にも触れ、睡眠時間は数時間という過酷な状況で極限まで勉強したことは生涯の財産となっている。

 

平成6年~13年

法人名    宅老所ひばり、ウエーブ、

事業内容   高齢者福祉

看護師として勤務中から医療機関でのボランティアの必要性を感じ、退職後はボランティアを学ぼうと栃木県福祉協議会主催の福祉 のわかるライター養成講座に参加。その講座で宅老所ひばりの代表者と出逢い高齢者ディサービスの設立に参画。認知症の方の窮状を知る。更に地域における福祉政策の貧困を知り、必要なサービスは自分たちの手で作ることを仲間と始め、地域の人達と協力しNPOウエーブを設立し参画。その際行政とも協働でサービスの普及に尽力。

ウエーブで介護保険事業開始時、介護支援専門員として勤務。

平成14年~16年

法人名    NPOおおきな木、

事業内容   市民活動支援

市民活動の基盤整備の必要性を感じボランティアセンターを市に要望。市が市民活動支援センター設立。NPOおおきな木設立しセンター受託しセンター長として運営。センターで市と協働で子ども支援関係団体設立(NPOだいじょうぶ、ファミリーサポートセンター、子育て支援センター)精神障害者親の会やしお会の方の相談からNPOふれあいの森立ち上げ支援。その経歴がかわれ日光地区合併協議会にも市民代表委員として参加。

 

平成18年~24年

法人名    NPOハートネット

事業内容   働きたいけど働けない若者就労支援

センター勤務時に引きこもりの若者の相談を受け、その深刻さにセンター退職し引きこもりニートの若者の相談と就労支援を目的にNPOハートネットを設立、代表を務める。ハートネットでは県に若者ジョブチャレンジ事業提案し受託。しかし事業化は困難を極め受託も翌年度他事業者へ。自費運営となりボランティアで活動。そのためDV被害者支援団体、高齢者グループホーム、レオパレスの介護保険事業者等でアルバイトをしながら活動。市内での展開に限界を感じ、県域での自立支援研究会発足。就労支援の新たな展開を関係団体と協議し懇意の精神科医が復職支援リワーク設立。研究会でリワークを支援。

 

平成24年12月1日~26年1月1日

法人名    栃木ソーシャルサービス会社

事業内容   精神科通院の方の訪問看護、就労支援B型

引きこもりする中で精神的に病む方が多く、しかし病んでも病院すら行けない。そのような方々をボランティアで支える限界であった。そのような時に精神科に通院する方の訪問看護を知り入社。様々な精神病で社会参加がかなわない多くの方々を知った。子どもを虐待するケースや不登校になる若者へは行政や学校と連携をとった。訪問看護だけでは支えきれないケースが多く、ここまで酷くなる前に様々な支援が必要ではないかと痛感。やりがいはあったが社長のパワハラで仲間が次々解雇。私もパワハラにあい適応障害と診断を受け退職。

平成26年4月~令和4年4月

法人名    日光市役所

事業内容   市議会議員

宅老所ひばりを共に立ち上げた人が市議会議になり応援していた。その人が市長に立候補したため市議を辞職。その後継として困難な状況に置かれた方々に役立つサービスを創出するために立候補。市議となり以下のサービスを実現した(福祉分野以外は除く)

〇引きこもり相談支援センター

〇親なきあとの拠点施設

〇アドバンスケアプランニング わたしのノート・人生会議ノート

〇ケアマネジメント支援会議

 

資格     看護師、看護教員資格、介護支援専門員、キャリアカウンセラー、産業カウンセラー講座受講 

家  族   夫  子ども2人は独立

若い世代や子育て世代にも、「議員」という仕事に関心を持ってほしい

議員の仕事とは?さまざまな考えの議員がいます。議員の数だけ議員活動があり、議員の仕事は一概に言えません。そのことが議員は何かわかりづらく、大事な仕事でもあるのに、なり手がいない危機的な状況を招いているように思えます。

その一方で、地域づくりやまちづくりに関心を持ち、活動を始める若い世代や、子育て中の世代も増えています。議員という仕事も、ぜひ、その延長で考えてみてはいかがでしょうか。

地域づくりを行っているともっとこういう後押しがあったら活動しやすい、子育てしているともっとこういうサービスがあったら子育てしやすい、と思われませんか?それを形にするのが議員の仕事です。ですから当事者体験をしたことのある、様々な背景をもった人たちが議会にいることが必要だと思っています。

若い世代、多様な背景を持った方々が議員を目指す人が増えて欲しいと思います。少しでも皆さんの参考になればと考えて、次回から、4回に分けて議員の仕事についてお伝えしていければと思います。

いろはにもみじ

いろはにもみじ

 

日光市の栗原にあります。素敵な所だと聞いていました。やっと来られました。1年半前にオ−プンしたそうです。

 

お食事も美味しい!コ−ヒ−も紅茶もケ−キも美味😋

↑どんだけ食べてるんや(少し痩せたのに(・・;)

あっ、メインディッシュ撮ってない(^_^;)

あっ、ハンモック乗ってない😅